認知症の人が垣間見せる“つながった瞬間”
寝ぼけてトイレに起きてきた認知症の人は、いつもの無口なオッサンじゃなかった。
妙に愛想がいい。
トイレまでお連れすると「いやーどうもどうも。悪いね。」ってお礼を言ってくれるんだけど、普段はそんなこと言うような人じゃない。
もちろん、認知症という病気がその人を無愛想にしているんだけど
「初めてこの人お礼言ったし!」と、かなり衝撃を受けるんです。
いつもは認知症を演じてるだけで、実は我々をだましてるんじゃないかと疑いたくなるようなそんなすっきりした瞬間がときどきある。
もしかするとこのままこの人、認知症が治ったりして・・・、なんて淡い期待するんだけど、時がたつとやっぱり戻る。
そんなつかの間の、魔法が解けたような瞬間。
特に寝起き時にそうした瞬間があるように感じるけど、それ以外にも
“いままで切れていた線がつながった瞬間”
ってあるもんです。
こちらのアクションに妙に反応良く返してくださってキャッチボールが成立してるとき。
多弁になって過去を流ちょうに話し出したりする。
びっくりすると同時に再確認する。
認知症を患っている方も我々と何も変わらない人間なのだ、という事。
普段接していると認知症の側面ばかりが目立って「無口で自分勝手で不愛想な人」と認識してしまってるんだけど、
その人にも家族が居て子どもが居て、その子供を養うために一生懸命生きてきた過去があって今があるんだ、と改めて思うわけです。
機械的に業務をこなしてしまいがちなボクらに「我々は人間なのだ」と主張してくれる利用者さんの声があって、今日も頑張れています。
終わり。